備忘録小学校~1年3組~

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「ちょうど100だ!」から始まる算数の時間――子どもが没頭する瞬間をどう作るか

自分の子供の勉強を見るのってなんでこう難しいんだろうか・・・

毎度のことながらつくづく思い知らされる。

勉強だけが全てじゃないとは、他人の子供なら言ってあげられるし、少しの理解を「スゴい!」と言ってあげることもできる。

でも、自分の子供はやっぱりそうはいかないだろうと思う。

 

そもそも、宿題や苦手なところを教えようとする時に勉強のことだけに集中がいかない。

やる気に対して、ノートの書き方に対してなんていう取り組む部分から気になってしまう。

子供からしてみれば、その時教えているのは「親」なのであり、学校の先生でも塾の先生でもない。他人じゃないからこそ、緊張感も持てない。そんなの当たり前だと思う。

ここはどうやっても変えられないだろう。

専門的な知識があるとかの問題ではない。

 

じゃあ塾に行けばいいのかというとそれも少し違う気がしている。

塾って行くのにある程度のパターンがあると思っていて、

①受験するため

②学校の勉強についていくため

③友達と過ごすため(子供側の理由)

④一定時間預けたい(大人側の理由)

このどれかや、複合パターンになる気がする。

 

できないから塾に行くというと②が近い気がするけれど、長男、長女の場合はそこまでできないわけではないので二の足を踏む。

じゃあ勉強できているじゃんって話なんだけど、それも何か腑に落ちない。

テストや宿題を見ると、理解して解いているわけではないので、聞くとトンチンカンなことを言うからだ。

理想的には、好きだからもっと勉強したいとなってくれたら外部の何かを考えたいけど、それは塾ではないかなーと個人的には思う。いっその事受験したいと言うか、私が受験へまっしぐらな人だったらいいんだけど、ただレベルを上げたいだけなので、今の段階では塾ビジネスの中には属さないのではないかと考えている。

 

問題がスラスラ解けるのはもちろんありがたいけど、そこで満足しない勉強ができるには何が必要なんだろう。興味とは言うもののそれって大人にしたってどうしたら持てるんだろう。

生涯学習って本当に難しい。

 

そんな中にあって、この間の長女の発見には心が躍った。

「ちょうど100だ!」

「何が?」

「家族全員の年齢を足したら、8+11+40+41で100になった」

「おーホントだ!すごい発見じゃん!」

最近なぜか電卓をカタカタするのにハマっていた長女の大発見!

「マジで?何かするか!みんなでボードゲームしよう!」とか言う謎のパリピ長男は置いておいて(その発想は爆笑で好きだけど)、こんな質問をしてみた。

 

「じゃあちょうど200になるのは何年後?」

 

こう言うことができた時、子供ってめっちゃ真剣に考えるのよね。

まーもちろん必死に足すだけなんだけど。普段はやらないけどめっちゃ足し算するわけです。

実際は、合計100歳分を4人で取ればいいわけだから、100(歳)➗4(人)=25、1人25歳刻めばいいから25年後なんだけど。

これを聞いた時の子供の納得感、割り算すげ〜感。

こういうのが味わえるような場所があるといいんだけどなー。

どこかに落ちてないかしら・・・。

 

ではでは。

 

 

活かせれば子供にワクワクさせられそうな本たち。

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