子どもの小学校で再び算数ボランティアの募集があったので、いける日程はもちろん参加することに。
今回は前回までと違い放課後の日程で、算数の授業内に課題が見つかったこの補習的な時間を確保するためらしい。
2年生~5年生までが対象となっている。
算数の勉強は積み上げが大事だから、どこかでつまずいてしまうとその後もやはりできずに嫌いになってしまうという、負のスパイラルに陥りやすい教科である。
かくいう私もその一人であったので、かなり学び直しには苦労している。
だからこそ、つまずきがある児童のフォローが大切だということにはもちろん賛成である。また、学校がその機会を用意できるというのも、経済的な理由による勉強の機会の差をなくすことができるので賛成だ。
しかし、教育全体の在り方と捉えるとこれだけでよいのだろうか。
つまずきがある児童だけのフォローで本当にいいのだろうか?
勉強の機会が少ない児童というのは、果たしてつまずきがある児童だけなのだろうか?
ここに私の葛藤がある。
この考えに至ったのは、こども新聞を読んでいた時に中学入試の問題に目が留まったことによる。
その中学入試の問題は、「時刻と十二支を結び付ける問題」で大人にとってもかなり難しかった。じっくり考えればわからなくはないのだが、学びをどう利用して解くのかという部分で、多くの人が解くのに苦労すると思う。
でも、解いているととても面白かった。
受験をするかどうかは別問題として、こういった発展問題にチャレンジする機会を作ることも大切な気がする。ただ、やはりこれも別の時間枠で行う方が適していると思う。
1問の解説にかける時間もかなり必要だ。
ここにチャレンジすることによって、できている児童も気付きを得ること、課題を見出すこと、さらなる意欲を得ることができると思う。
出来ている子だからみんなが自然に勉強を始めるわけではないのだから。
ほとんどの教育は塾でさえできない人に向いている。どうできるようにするべきかに力が注がれる。人は誰でもレベル次第ではできないに所属するからだ。
だから、学校くらいはチャレンジ枠のような、追究型のような枠をボランティア等の協力で作っていってもよいと思う。こういう仕掛けはしてみたいな。
こういうことが「主体的・対話的で深い学び」につながっていくと私は考えている。
つまずく児童、なんとなくわかっていると感じている児童、ほぼできている児童、どの階層にもアプローチできる仕組みを、実現できるように動いていけたらなと思う。
とりあえず算数ボランティア頑張ってまいります。
ではでは。
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