ついに今月末が”小学校教員資格認定試験”だ。
ちょうど1年前くらいに受けることを決意して勉強をスタートした。正直やればやるほどまだまだ足りないなと感じる。
初受験となるため手ごたえがわからないということもある。ただ、突き詰めようとしたらどこまででも突き詰められるのが勉強だ。勉強には限度はない。
運よくこの程度で受かったとしても、果たして良かったのかと不安になるだろう。もちろん落ちたくはないけど、それでも落ちてもどこかホッとするような気もする。
幸い現在は安定した仕事についているため、落ちたら生活ができなくなるということはない。また勉強すればいいだけなのでいいご身分。
それなのに、普段の仕事をしながらあえて疲れが溜まりそうな勉強を続けてきたのは「小学校の教員になる」という夢があるからだけでは決してない。
先生になって子どもと関わってやりたいことはもちろんある。けれどその理想とは別に今勉強していること自体がなんか楽しい。楽しいというのも変だけど、日常作業とは別のベクトルでやることがある状況が心地が良い。別の自分がもう一人いるような感じでスイッチしている感覚に近いかもしれない。
仕事が嫌だなと感じた時も、勉強側にスイッチすると一日安定して過ごせる。さながら精神安定剤である。
私は結構多趣味だなと自負しているが(自分で言うなw)、そのおかげでこうしていろんなスイッチを持てているのかもしれない。おかげさまで仕事以外は興味がないという人(workaholic)以外とは話に困ったこともない。仕事に熱中したことはないのだが・・・
でも小学校の先生になりたいというのは、自分が小学生の時に卒業文集に書いていた夢だから、叶った時には私も仕事人間(workaholic)になるのかもしれない。そうしたら、仕事人間(workaholic)とも対等に話せるのかな?・・・ならないと思うけど(笑)
いろいろ長くなったが、今日言いたかったことは目先のことをとにかくやることが何よりも大事だということだ。ある程度大人になると先の計画を立てながら生活をする。だからその日の行動に制限が出てくる。
例えば身近な事では、明日旅行に行くから今週は外出を控えようとか、朝が早いから早く寝ようとかのことだ。
これはある意味ものすごく正しい。経験値から様々なことを達成のための行動計画を予測して立てているわけだから。
だが先を見すぎるとストレスが溜まるということにだんだん気が付いてきた。
気持ちが落ち着く時というのはいつだって今を楽しく過ごしているときだ。目の前のことに没頭しているときは、たとえ仕事に忙殺されているときでさえ不安が入り込むことはない。
不安はいつだって先を見たときに訪れる。来るかどうかわからない未来が常に悩みの種となる。
どんな未来が来るのかは極端に言うと明日の事さえわからない。誰も確実には予測できない。明日つらいだろうなという日が、いい日になることなんていくらでもある。
とにかく今目の前に来たことを1つ1つやる。特に楽しい、好きということには全力を出した方がよい!
子ども達は常に目の前のことに全力だ。小学校2年生の息子、年長の娘を見ていると本当にそう思う。好きなことに本当に手加減がない。嫌なことがあっても好きなことを目の前にした時には、本当にそのことに集中できている。
自分の父や母のような年配の方にも同じようなことを感じる。1日1日を考えて大事に生きている。先のことはあまり見ていない。
ちなみに世界で活躍するような人たちも、長期でプランを立てているかと思いきや、大きな夢は持つべきだが短期的な目標を積み重ねる事、つまり目の前のことにまず全力で
向き合うことが大切といった趣旨の発言をしている人が多い。
ストレスを感じる始める年齢はどんどん低くなってきているとの話もあるが、おおむね思春期くらいから先を見ながら行動することが多くなると思う。
悩んだときは目の前のことを1つ1つクリアしていこう。
そして、ぜひ目先のことを全力で追いかける気持ちを忘れないでほしい。
目先の気持ちにしたがって思いのままに書かせていただきました。
さあ、おとといからの仕事の疲れを全力を持ってお酒で癒しますかねw
ではでは。