備忘録小学校~1年3組~

日々にちょこっとプラスできたことシェアします。

【うつ病と診断されて①】休むことになるなんて思わなかった。怖かった。

5月20日(月)

うつ病と診断された・・・・・・

 

症状:激しい動悸・不眠・不安感・食欲減・食べるといつもでないが戻す時がある・下痢・夜間のひどい寝汗・足が頻繁につる・会話をしたくなくなる・時々急に大丈夫な時間が来るが、その後急激に落ち込みトイレに閉じこもる。などなど。

 私は、4月に10年半務めた前職を辞め、2年半勉強してつかみ取った小学校の教員をスタートさせた。

もちろん、慣れない職場、ブラックと言われていたこと、給料が下がること、そんなことは初めから想定していた。知り合いから聞いてもいた。

転職することが厳しい事も、3度目の転職なのである程度は最初の難しさをわかっているし、それを乗り越えた経験もある。社会人になって16年も経っていれば、ある程度の事は自分で経験したり、周囲から聞いたりしているので、大丈夫いつもと同じだと1か月と少しをすごしていた。

仕事自体はやはり想定以上に大変だったが、以前と違いすぐに話の出来る味方を見つけることもでき、つらいながらもなんとかやっていける自信が湧いてきた時もあった。

 

だから、正直にいうときっかけがどれだったのかわからない。

 

朝の不安感や、食欲不振は自分のメンタルダウンの時によくあることで、不健康ダイエットのようなものだった。

 

だが・・・呼吸が頻繁に苦しくなるようになる。

電車の中で、布団の中で、学校内で、場所を選ばず。

それと同時に、何を聞いていても、読んでいても頭に入ってこなくなるようになった。ずっと焦りだけが進行してボーっとしている状態だった。

 

この時、授業や1日の準備はおろか、目の前の準備や判断もいまいちつかなくなっていた。何も手につかない状態だったと思う。

 

相談を聞いてくれる人は幸いたくさんいた。

先生にも、前の会社にも、もちろん家族も。

だから、一過性のものなんだ、いつものやつだ、そう思っていたし、現にそうなった可能性もタイミング次第ではあったんじゃないかと思う。

(もう少し耐えてみたらということだ)

 

それでも私が今回受診に踏み切ったのは、またまたネガティブな理由だ。

自分のふがいなさから、だんだん周囲に対してあたってしまうときが増えてきた。それは目の前の子供たちや家でもそうだった。これはまずい。

また、友人にどんな職場でもいい所が全くないはずがない、精神的に追い詰められているから視野が狭くなっているねと言われたこと、相談していた妻の勧めも大いに関係がある。

 

おそらく、自分では行くことはできなかった。

自分の意志では決定することができなかった。

 

待つことを止めて、近隣ではなくともすぐに予約が取れる所を探し、都内の病院を予約した。出勤は急遽やめた。

40分ほどの精神科医臨床心理士によるカウンセリングやテストの結果。

病名「うつ病」とでて、診断書が出てしまった。

 

もらっても出さなければよいのではとそこでも迷った。実は何事もなく出勤することができるのではないだろうかと。

それほどまでに休むのが怖いというのは、どこか病気ではなく甘えだけなのではないかと。そしてそれは今でも思っている。

 

みなと同じように働いていること、与えられた役割をちゃんと果たしていることは「普通」のことであり、「普通」から逸脱しないでいられることが「安心」であり、それを守ることが「王道」の生き方であると信じている人はとても多いです。

心療内科医が教える本当の休み方ー(鈴木 裕介 著)

 

この考え方に当てはまる人は結構多いのではないだろうか、私は極めてここを意識してしまっていると思った。

違う生き方を選ぶのは怖い。周りにいるよと言われても、それでも自分がそうはなりたくない。そんな思いが休職を選択した今現在でも強い。

だから、本当はこんなことを書いている場合ではないのであるが、気持ちを客観視できるように記録に残している。

 

朝起きて、妻の家事の代わりをややこなし、本を読み、薬の眠気で仮眠をとった午前。

やや昼ご飯を口に入れ今に至る。

想像以上に薬の効果と仕事自体から離れている効果は現状ありそうだ。

でも、どこかでガクッとくるときがあるだろう。

きっと自分と向き合ってこなかったツケが一気に来ているのかもしれない。

とことん自分自身を見てみよう。

どうやら時間はあるみたいだ。

 

ではでは。

 

<参考文献>

#うつ病 #教員休職 #初任者休職 #悩み苦しみ #適応障害 #メンタル